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地方大学の教授にもなれず会社に行こうかと思っていたが、アメリカで教授になった場合

投稿日: 2024年10月2日12:26

著者: キム博士ネット

学術界と産業界の選択:個人の道を尊重する

最近、学校や会社に関する議論が掲示板で盛り上がっているのを見て、博士課程修了後に韓国に戻るか米国に残るか悩んでいた数年前のことを思い出しました。

当時、ソウルや首都圏の大学ではなく、統廃合を控えた地方国立大学でさえ切実に行きたいと思っていましたが、応募資格すら満たしていませんでした。しかし、企業や米国の大学との交渉はうまくいきました。韓国の教授採用には及ばない実績でしたが、韓国の大企業からオファーを受け、米国のいくつかの大学からもオファーがあり、結局米国に残ることになりました。

当時も、帰国して教授になるか研究所や企業に入るか、あるいは米国で企業や大学に行くかなど、様々なケースがありました。その頃は、Googleなどのビッグテックよりもソウルの大学の教授になる方が良い選択だと考えられていました。掲示板の投稿のように、ここ数年で韓国の大学教授の地位が大きく低下したかどうかはわかりませんが、当時は米国の大学に行くのは選択肢の一つでしたが、みんな心の片隅では、いつかは母校の教授になる計画を持っていました。実際に多くの人が母校に戻りました。ああ、大企業の役員になった先輩後輩もいますね。

このように多様なキャリアを歩んでいますが、実際には誰がより成功したとか、誰が失敗したとかいう話はしません。生きてみると、それぞれ異なる道筋なだけだからです。給料の少ない教授になるのにも理由があり、教授になって起業するにしても、お金を稼ぐにしても、それぞれに理由があります。会社に行って年収数億円の役員になるのも、それぞれの理由があるだけです。

他人が会社に行ってお金を稼ぐか、教授になってお金を稼げずに古い考えの文章を書くかは、他人の理由について熱くなる必要はありません。すべて無意味です。これを早く理解すればするほど、得をするのです。

まあ、韓国で教授をしながら学生たちから尊敬され、社会的地位や名誉も得て、成功している韓国の教授たちのように年間3億円以上稼ぎたいという気持ちもありますが、それは他人の人生です。他人の人生に熱くなる必要はありません。韓国の教授たちに比べて楽をしている米国の教授の立場からすれば、社会的地位や名誉がなくても、適切な給与と整備された年金システムに感謝しています。

タグ: #学術キャリア, #海外就職, #韓国対アメリカ

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