米国で活躍する韓国人エンジニアの真摯な物語
はじめに
こんにちは。私は現在、アメリカでエンジニアとして働いている韓国人です。今日は、私の経験と悩み、そしてその過程で得た気づきを皆さんと共有したいと思います。
目標達成後の迷い
大学院時代まで、私には常に明確な目標がありました: - 良い大学に行くこと - 良い成績を取ること - 学位を取得すること - アメリカで就職すること
しかし、博士号を取得し、現地で就職して職場に適応してからは、むしろ大きな悩みと迷いに陥り始めました。
新しい環境での挑戦
就職して、私の分野で本当に優れたエンジニアたちと出会い、彼らが本当に自分の仕事を楽しみ、天職を見つけている様子を見て、そして誰も正確に私の目標を設定してくれない状況の中で、迷いが始まったように思います。
もちろん、昇進や給与アップなどの目標を立てることもできましたが、そのような目標は私にとってピンとこないし、切実でもありませんでした。さらに、アメリカは転職も解雇も頻繁なので、組織内で周囲に認められることも大きな意味を持たないように思えました。
限界の認識と自己省察
「自分の分野で優れた実力者になる」という目標を立ててみましたが、そうすればするほど力が抜けていきました。知識は無限で、この世界には優秀な人があふれており、私がより多くを学ぼうとすればするほど、自分の限界をより強く実感するようになりました。
そして気づいたのは、私は要求されるすべてのことをうまくやろうとしていて、同時に自分が何を特に得意としているのかを考えたことがなかったという事実です。
適性と職務のミスマッチ
実は、私の分野は専攻の中でも実験をたくさんしなければならず、観察力、ハンズオン能力、そして経験から学ぶ能力など、これらのスキルが多く必要な分野です。
反対に、私はいつも数学が好きで統計が好きで、厳密に分析することが得意で、留学中も自分の専攻の中で統計や数学関連の科目ではクラス1位を取ったこともありました。しかし、私が本当に得意なことと反対のことをうまくやろうと努力しながら生きてきたのです。だから勉強も仕事も辛くだけ感じられたのだと思います。
転機:適性に合った業務
これについてより切実に気づいたのは、私が働いている職場のマネージャーが人を見る目が非常に良く、それぞれに合った役割と仕事を与えるよう努力する人だったからです。そのマネージャーが私に与えた仕事は、私の分野の中でも比較的厳密な分析力、複雑なものを解き明かす能力、多くはないにしても数学的な知識が必要なもの、こういった仕事を私に任せてくれたのですが、仕事があまりにも面白くて金曜の夜に退社した後も土曜日まで丸々この問題の答えは何だろうと解きながら週末を仕事に捧げ、普段も仕事をしながら通常とは違う凄まじい集中力で仕事をし始めました。
気づきと新しい目標
そして気づき始めたようです。他人と自分を比較して、自分は彼ほどの才能がないと挫折するのは愚かなことだと。他人との比較での才能の差は努力で克服できます。しかし、自分自身の数百の能力の中で私が最も得意なこと、私の生まれつきの才能を発揮すること、それを職業として、生涯の業として生計を立てることは非常に重要なことだと思います。
新しいアプローチ:専門分野の細分化
そのため最近は、何でもうまくやろうという欲を手放し、自分の分野の中でもさらに細部分野を細かく分け、その中で私が最も得意とする細部分野を定めてそれだけをうまくやろう、その代わりこれは本当に私が最高の専門家になろうという目標を立てて過ごしています。そうすると仕事が楽しく、自分に対する自尊心も感じられます。
キャリア管理の新しい視点
今後、転職する時や新しいプロジェクトを受ける時も、このような目標を基準にしたくない仕事はしたくないと言い、そして転職するとしてもお金をたくさんくれる所への転職ではなく、私が本当にうまくできることとよく合う職場に転職しようと考えています。
アメリカの職場文化に対する新しい理解
ここまで考えが至ると、なぜアメリカ人たちが仕事を任せる時に無作為に与えるのではなく、その仕事が自分のやりたい仕事なのかをまず聞いて、自分が何をしたいのかをなぜしつこく聞くのか理解できるようになりました。
スポーツ選手との比喩
たとえるなら、スポーツ選手もみな同じスポーツ選手ではなく、サッカー、野球、バスケットボールと全て違い、サッカー選手の中でもサイドアタッカー、センターバック、左ミッドフィルダーなど様々なポジションがあるのに、私は自分にどんな才能があってどんなポジションを決めるべきかわからず、全てうまくこなそうと誰かが指定してくれたポジションで頑張りながら生きてきたが、客観的に自分を振り返って、私はどのポジションが似合っていて得意か、他のポジションはうまくやろうと頑張らない、誰かにやれと言われても嫌だと言おうと答えを出した感じでした。
終わりに:後悔と希望
残念な点は、自分の能力に対する理解をなぜもっと早くしなかったのかということです。私には何度かチャンスがあったように思います。学部の時にもっと自分に合った専攻を探すことができたし、修士の時に博士は自分により合う所に行こうと方向転換することもできたし、そして博士課程中も博士1年目に指導教授を変えて自分により適した研究テーマを選ぶこともできたのに、これらすべての機会を逃し、自分が楽しめない勉強と仕事を引きずってきたという点です。
おそらく大学の時も大学院の時も他の悩みが大きすぎたのだと思います。例えば留学するならどの程度のランキングの大学に行けるだろうか、博士号が取れるだろうか、博士号を取った後どこに就職できるだろうかなど、こういった悩みが本当に私がすべき悩みを食ってしまったように思います。
今振り返ってみると、自分自身を一歩引いた距離から見ながら、自分の能力に対する客観的な評価とそれがどのように職業に結びつくかについての悩みをしていたら、私が学位を取得する過程ももっと楽しく、そして今の私よりもはるかに優れたレベルのエンジニアや科学者として働いていたのではないかと思います。
私のこのような残念な点が反面教師となることを願う気持ちから、そして私の率直な悩みとそれなりに見つけ出した答えを皆さんと共有したいと思いました。
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